(もてぎ観戦記)------98'FedEx Championship Series Round 2ハ Budweiser 500

 日本初上陸のCARTワールドシリーズ。もてぎで見た本物のインディカーはやはり凄くて迫力があった。
 26日、晴れ。卒業式と一連の行事の後乗り込んだ北斗星で宇都宮入りした。やはり本州はあたたかい。さっさと直行バスに乗り込みもてぎのレース会場へ向かった。敷地内を無茶苦茶歩かされたが、なんとか午前のフリープラクティスに間に合った。席に着いたと同時にマシンが走り出した。私にとっては初めてのインディカー観戦となったが、目の前を次々と通過するマシンのスピード、カラーリング、轟音、そして、運転技術にただただ感動の嵐であった。
 ドライバー達の目標タイムは昨年11月のオープンテストでバッサーが出した25.026sec.である。しかし、いつまでたってもこのタイムはおろかだれも25秒後半から抜け出せない。やはり1日走っただけでマシンをベストの状態に持っていくのは難しいのだなと思った。それでもドライバー達はタイムを縮めようと、グリーンシグナル点灯と同時にコースに繰り出していった。F1のように駆け引きをすることなく、ただひたすらに走りを追求するそのひたむきさに感動を覚えずにはいられなかった。
 この日は各マシンの写真取りに専念することにした。幸い(というべきか)観客が少なく、席を自由に行き来できるような状態だったので、いいポジションでいい写真がとれる、と思ったのだが、2つ問題があった。1つはマシンのスピード。あまりに速くて撮れたものがなんだか分からない可能性があること。もう一つはマシンのコース取りとスタンド前のフェンス。ドライバーはスピードを稼ぐためにコーナー入り口では壁に寄ってくる。この時マシンがフェンスに隠れてしまうのである。これにはまいった。(この時使ったカメラが安物で、特にバックストレートのマシンを撮ったものはあとで確認するとマシンが擦り胡麻程度の大きさでなんだか分からず困った。)
 この日特に目立ったのはやはり下馬評の高かったチップ・ガナッシチームの2人、バッサーとザナルディ、そして中堅のフェルナンデス、さらに実力派のド・フェラン、開幕戦2位のムーアで、この5人が上位を占めた。特にバッサーは午前、午後ともトップタイムで通過し、他を全くと行っていい程寄せつけなかった。
 私が注目したドライバーは未だ未勝利のハータ、そしてびっくり移籍したトレーシーであったが、ハータは9番目のタイム、トレーシーはあまり良い結果を出せなかったと言えよう。
 プラクティスということもあってか、意外な面子が上位に顔を出してきた。ルーキードライバーのカナーンが10番目、そしてエントリー変更で出場のサレスが意外にも25秒台をだし13番につけた。一方、14から17位にマイケル・アンドレッティ、ポール・トレイシー、アル・アンサーJr.、ボビー・レイホールが並び、ベテラン勢はあまり振るわなかった。
 27日の予選は雨で中止となった。この日ももてぎに駆け付けた私は、朝から何もすることがないにも関わらず、結局5時過ぎまでだらだらと、8時間も滞在してしまった。パドックパスを買ってる人はそっちを見に行っているのであろうが、私には金もなければ語学もドライバーと話す勇気もないといった感じで、パスは買わずに会場内をうろうろしていた。暇つぶしに、メーンゲートと向い合せにあるHonda Fan Fun Lab.という建物を見学してきた。中には本田の技術、エッセンスがちりばめられていたが、いわゆる展示場のようなものと考えていい様なものであった。ただ、会場中央には360度スクリーンがあって、足下を回転させながら鑑賞するという豪華な設備があったが、映像は会社紹介程度で下らないものだった。運のいい人はここでドライバーと出くわすなどということがあったらしいが、わたしは無縁であった。
 結局26日のタイムでスタート順が決定され、ジミーバッサーがポールポジションとなり1点が加算された。28日の決勝日は一転してからっと晴れ上がり、会場には見たこともない程の大勢の観衆でごったがえしていた。さすがに5万人(実際はそれほどいなかったようだが)である。席へ向かう道を歩けない程であった。朝、最後のプラクティスが行われ、わたしは20分遅れて観戦となったが、アンサーJr.やハーンが調子良く走っていたのが目についた。
 いよいよ決勝本番である。決勝では、これまで見てきた速さ、豪華さ、音にくわえて、駆け引き、ピットワーク、勝負といった決勝ならではの要素が加わり、緊張感がさらに高ぶってきた。決勝が近付くにつれて日ざしが強くなり、気温も上がってきたので、たまらず帽子を買って、暑さを凌ぐことにした。
 ピットレーンにマシンが並べられはじめた。バッサーのマシンの赤の配色が陽の光に照らされて眩しい。ドライバー紹介、君が代のあと、アメリカ国歌が歌われた。決勝での快走を誓うドライバー、安全を願うピットクルー、好レースを期待する観衆。私も心地よい緊張感に襲われる。さあ、みんな心行くまで戦ってくれ!日本の地で初の記念のインディカー(チャンピオンシップ)がいよいよ始まる!と、ここまでは良かったのだが、土壇場で茂木町長がやってくれた。‘エンジン始動!’はないんでないかい。まあ、すぐに”gentlemen, start your engines”と言い足し、無事全マシンのエンジンがかけられた。そして、いよいよペースカーに先導されて各マシンがコースへと旅立っていった。
 ほぼ定時にレースは始まった。ペースカーが退いてグリーンフラッグが振られる時の緊張、というより爽快感はすごいものがある。スタートは順位を上げる一つのチャンスであるから、ドライバーたちはここぞとばかりにすっ飛ばしてくる。ホームストレートエンド付近に陣取ったのはやはり正解であった。勢い良くこちらに向かってくる様が良く見て取れると同時に、最もスピードがのるところであるからマシンの最高速度を肌で感じることが出来た。あまりに速すぎて写真がとりにくくはあったもののこれは当然のことであろうと割り切ってレースに集中することにした。
 いきなりレースは動いた。第1コーナーにまっ先に突っ込んでいったのは2番手スタートのフェルナンデスであった。しかしバッサーも負けじとついていく。序盤はこの2台が引っ張る形でレースは進行した。今回僕のご贔屓は、未だ未勝利のブライアン・ハータである。しかし彼の走りはいまいち精彩を欠き、ポジションを落としていく。30周過ぎには、チームメイトでオーナーのレイホールにも抜かれてしまう。40周過ぎには、本日1回目のピット作業(通常のマシンはこの日4回行った。)となり、各チームとも素早いピットワークを見せ、再びマシンをコースへ送りだす。特に目立ったのは、一番手前に陣取ったフォーサイスのピットで、効率良く行われたピット作業でムーアをポジションアップさせていく。P.J.Jonesがこの頃に脱落するが、それを除けば余りにもスムーズにレースは進み、かえって不安になったりもした。
 私は、目の前を通過するマシンを見てその順位をこれまた目の前のタワーで確認するということを繰り返すという方法でレースを観戦していた。また私は上段の座席にいたので、ある特定のマシンに目をつけて、コース全周にわたって追いかけるという見方も出来た。この見方をしていたためにレースのクライマックスを目の当たりにできた、ということがあった。レースも中盤に差しかかり、トップが再び逆転するのだが、そんなことをよそに、私はタワーの上部に現れた”6”に気付き、コースに目をやった。マイケルである。とんでもないスピードでかっ飛ばしているではないか。カナーン、ザナルディ、フェラン、ムーア、フェルナンデスと、次々にそれこそあっという間に抜いていく。やっぱりレースはこれだよ、追い抜きシーンがいっぱいある方が楽しいよね。そして、これら全部を目撃した私はついに‘やりやがった’シーンをも目撃してしまう。70周過ぎの裏ストレート、マイケルはついにバッサーをかわしてトップに立つ。これには観客のほとんどが声を上げてそのすごさを実感したに違いない。しかし、ずっと追っていたマシンがトップに立ってしまうと、つぎなるバトルを求めて別のマシンに視点が移ってしまうのは致し方ないところである。私も後ろの順位争いの方に目をやっていた。ムーアがピットに入るのを見て2回めのピットインの時期であると分かった私は、この時点での順位を確認すべくタワーに目をやろうとした。そこにあまりにもハッキリと私の目に映るマシンがあった。なんとマイケルではないか!そこには明らかに他とは違うスピードでひたすらピットを目指すマイケルの姿があった。‘やっちまった’、そうおもわずにはいられなかった。しかしマイケルの2つの性格が1度に垣間見れたのは観衆(マイケルファン以外)にとってはある意味ラッキーだったのかも知れない。マイケルはこのあとピットにたどり着けずにとまってしまう。ああ無念、マイケル!
 レースは100周を過ぎてもイエローのでない耐久戦の様相を呈しはじめていた。マイケルもそのせいで止まってしまったのか、と思っていた。(あとで気付いたことだが、マイケルはガス欠だったらしく、チャージしてすぐに復帰しているが、22位まで落ちてしまった。なんとも勿体無いレースとなってしまった。)一方、ハータが28位から動かない。いつの間にかコース上にもいない。(ハータはこの日調子の出ない車を騙し騙し乗っていたらしく、結局走らなくなってしまい110周頃リタイヤ。)そんなことに気がついた頃、裏ストレートに白煙が濛々と上がっているのが見えた。そして今日初めてのイエローである。事件の主はクリスチャン。またとんでもないことをしでかしたな、と思うのと同時にクリスチャンの身を案じている自分がいた。(実際はエンジンブローで、クリスチャンには悪いがたいした事故ではなく、不安も取り越し苦労に終わって一安心。)
 このイエローはしっかり時間をとってコースの整備を行っていた。なにしろ120周近くもフルレースをしていたもんだからドライバーも観衆もちょっと疲れ気味。このイエローは双方にいい休養になりました。再スタート時、トップにいたのはアル・アンサーJr.。このレースでは久々に彼らしい粘りのレースを展開してきた。去年から精彩を欠いていただけに、彼がトップにいることを純粋に嬉しく思っていた。しかし、アルのトップはあまり長くは続かない。茂木に入ってからずっと絶好調のフェルナンデスがあっさりとトップを奪いかえす。しかしアルは離されることなくフェルナンデスについていき、再びトップにつくチャンスを伺っていた。アルだけでなくこの日はベテランが調子良かった。マイケルやプルエット、そしてレイホールが熟練の走りを披露していた。レイホールは同僚のハータを抜いたあたりから徐々にペースを掴み、150周頃に4位までアップしていた。調子に乗った時のおじさんは手をつけられないぞとばかりに若者顔負けのキレた走りを披露していた。いくら年とはいえ今年を最後に引退というのは余りにも惜しいと思わずにはいられなかった。しかし、そのレイホールはなじみの深い(ホンダエンジン初使用などインディドライバーの中では特に日本とは関係が深い)日本でのレースを、レース終盤のクラッシュという形で終えてしまう。この時には3位に上がっており、表彰台でレイホールを見る期待が膨らんでいた矢先であった。本人無事というのがせめてものすくいであったろうか。
 レイホールのクラッシュは190周近くで起こったため、イエローのままレース終了ではないかという憶測がコース内外で飛び交っていた。しかし私は残り5-6周で再開されると信じていた。イエローで終わるよりはまだ何かあると期待させてくれるほうがいい。私のもくろみは当たり、レースは残り6周で再開された。この時、1位のフェルナンデスと2位のアルが最も近付いた。アルが上位にいるのを純粋に喜んでいた私もこの時ばかりはフェルナンデスの応援をした。ここまでレースの主導権を握ってきた若者に美酒を味あわせてやりたい。彼の初勝利はタナボタ的要素が強く、死亡事故があって喜べなかった(97年トロント)から、今度は実力で勝利をもぎ取ってめいいっぱい喜んでもらいたい、そう思った。フェルナンデスは、何とかアルの猛追を凌ぎ、201周を走り切ってフィニッシュ。観客は自然にスタンディングオベーションとなり、フェルナンデスの優勝、そして無事もてぎでのインディカーレースが終わったことを喜んだ。
 レースは3時半過ぎまで行われ、2時間30分の長丁場となった。しかしそれだけに、私を含め観客の満足度は非常に高いものとなった。トップ3のパレード、表彰式をずっと見続け、レースの、興奮の余韻にひたっていた。最後に今回のレースの記念バッジをもらって帰途についた。あまりに感動的なものだったからか、さすがに帰りは心地よい疲労感に襲われた。また来年、そしてずっとこの日本の地でインディカー、いや、チャンプカーのレースが行われることを祈り、また見ようと心に誓った帰りであった。次は英語をおぼえてパドックに入るぞ!

p.s.
1.今回残された夢は、パドックに入ることと、予選を見ること、そして現IRLの私の超ごひいきドライバー、スコット・グッドイヤーをじかに見ることです。
2.宇都宮に帰ってからとても人には言えないとんでもないことが起こってしまい、レースの感動を忘れる程散々な目にあってしまいました。来年はしっかりしなければ。(また行く気か、おい。)
3.また行くぞ、と言っておきながら昨年の茂木はスキーのし過ぎで金欠に陥り行けなかった。今年もスキー三昧ではたしていけるのだろうか?

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